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花の一生、人の一生

 

 夏に書いた記事を今更投稿。

 

日本の名随筆 (1) 花

日本の名随筆 (1) 花

 

 作品社の名随筆シリーズ、100まであって征服欲がくすぐられます。既に5つくらい読んだかな。(「花」、「酒」、「恋」、「雪」、「婚」、等々)

 

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 花と人を重ねた随筆で印象的なものとして思い浮かぶのは、寺田寅彦の「花物語」の「芭蕉の花」です。

 

芭蕉は花が咲くとそれきり枯れてしまうっておとうちゃま、ほんとう?」

「そうよ、だが人間は花が咲かないでも死んでしまうね」

寺田寅彦 花物語より)

 

 雨上がりの夏の日、花は咲いたものの開き切らないうちに萎れつつある芭蕉の花を縁側から見ている、夫婦の会話。花の生は儚い、けれども、人の生はより一層儚いことに気づかされるこの一言。有名な「どんぐり」もそうだけど、寺田寅彦の人生観にはどきりとさせられることが多い。

  

  咲かずに死んでゆく花、というのは、何か、誰かのことを喩えているのだろうか。具体的に誰かのことを指しているのだとしたら、我が子の成長を見届けないまま亡くなった奥さんのことなのかな、と思う。(寺田寅彦は最初の奥さんと2番目の奥さんを病気で亡くしている)

 

余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴づるのじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。

寺田寅彦 どんぐりより)

 

 人生に対する人の様々な望み。愛したいとか、愛されたいとか、豊かな生活を送りたいとか、娘/息子に不自由のない生活を送ってほしいとか、仕事で成功したいとか。何にせよ、成し遂げることなく「咲かずに死んでゆく」ことは多く、また咲いたところで、後世まで残せず「それきり枯れてしまう」ことがほとんどだという気がする。

 

 こうしてみると、あたかも人間は1本の花だという気がしてくるけれど、まあそうやって人生を儚むのもいいと思うけれど、楽観的な私はそうではないと思うんだよね。

 私は人の一生は庭のある一部分なのではないかと思う。

 就職活動を控えた大学4年生の春までに、たくさんの人が、自分の人生は取るに足らない、意外とつまらないものなんだと、そういうふうに見ることもできるの気付くのではないかと思うんです。理系の学生で例えれば、渡米して西海岸で国際色豊かな研究室のメンバーと切磋琢磨してイノベーションに貢献してみたいな、自分の研究成果で世の中が豊かになるみたいな、一度は夢見ていたという事実を思い出したうえで、そういうことは自分の人生には起こらないのだと、気付く。夢を諦めるとかそういうことではなくて、自分の人生には起こらなくて、しかもそれでも自分は特に気にしていない、ということに気付く。

 それでも自分は特に気にしていない、と気付いたとき、その人のなかではその花は咲かずに死んだのだといえる。でも、それと同時に、前よりはささやかかも知れないけれど、新しい芽も出ているはずで、今度はそれを大切にしたらいいんじゃないかと思う、甘いかな。

 

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 夏の試験に向けてそろそろ本格的に勉強を始めているのですが、高校生の頃に夢見ていた大きな目標よりも、むしろそれよりはささやかな理想のために机に向かっているなと感じる今日この頃です。