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夏休みの締めくくりに

フェイスブックにずらっと並ぶ、友人たちの夏の思い出まとめみたいな投稿に嫌気がさしつつ、自分も考えることが振り返りっぽくなってくると、夏休みが終わるんだなあと実感します。いよいよ。

 

2ヵ月間の夏休みは、長くて長くて、最後のほうなんて学校が恋しくなる始末だった。だけど、何もかもが停止して、何にも追われない日常というのは、いつもは頭の隅に追いやっている厄介なこと、ひとつ挙げるならそれは寂しさのようなものだけど、そういうことについて考えるのにぴったりな環境だった。

私が馴染んでいた環境は、この夏休みとはまるで正反対だと思う。高校に入ってから大学受験が終わるまでは、ほとんどずっと、宿題・予習・復習・試験(点数が悪いと追試が待っている)に追われていて、大学に入ってからも毎週レポート等に追われていた。毎晩ちょっとツイッター見てへらへらするくらいの暇はあるけれど、立ち止まれない環境だった。(気分がもやもやするからって勉強しないわけにはいかないし、だって勉強しないと追試ひっかかっちゃうし、追試ひっかかったら来週の試験の勉強できないし。)以前も書いたように、私は何でもノートに書き留める癖があって、それは、宿題や小テストの日程や範囲を忘れないようにするためというのもあるけれど、もうひとつ、一度結論を出したことについてうじうじと何度も考えて時間を無駄にしないために考え付いた方法だった。同じことで悩みだしたら、以前書いた(その場しのぎにちょうどいいという意味での)〈正論〉を読み返して、半ば無理にでも自分を納得させる。ごまかしごまかし、そうでもしないと、毎日やるべきことをやりきることができなかった。(他の皆はどうしてたんだろうと偶に気になる。私が不器用なだけなのかもしれない。)

夏休みになって試験も課題もなくなると、考え方も少し変わったみたいで、いつもは雑音のように疎ましく思っていたことをとりとめもなく考えたりするようになった。〈正論〉じゃなくて、自分が納得できる形で答えを見つけたくなった。

立ち止まっちゃいけない環境って、一時的には刺激になるし、これから先も身を置くことになりそうだから慣れておくべきだとは思うのだけど、そうでない環境で、焦りのない気持ちで、考えた時にしか出せない答えってあると思った。

 

夏休みを経てようやく、大学生活における時間の流れが分かってきました。後期もがんばりたいです。

 

 

◆◆◆

寂しさについて、少しだけ。

構ってくれる人がいないとか、家族に冷たくされるとか、何となくとか、感じる寂しさはいろいろあるけれど、夏休みの間、そもそも私の寂しさってどこにあるんだろうと考えだして、他人のこと考えたり、昔のこと考えたりしているうちに、寂しさの原因も対処法(簡潔にいえば、何もすることはないという対処法)もわかった気がして、何だかとてもすっきりした。すごく落ち着いた。

よくわからない報告だけして、詳しくはまた今度。